【齋藤彰俊ヒストリー《2》】プロレスラーへの道につながる中京高校時代…11・17愛知県体育館「引退試合」_2330pts
プロレスリング・ノアの「TEAM NOAH」齋藤彰俊が17日に愛知・名古屋市のドルフィンズアリーナ(愛知県体育館)で引退する。齋藤彰俊中京知県空手家からプロレスへ転身しデビューは1990年12月20日、ヒストリー2プロレスラーへのつながる11・1愛知・半田市民ホールでの「パイオニア戦志」。道に2330pts以後、高校館引新日本プロレスで「平成維震軍」などで活躍し一気にトップ戦線へ食い込むも退団。時代2年間、7愛リングから離れ2000年からノアに参戦し09年6月13日には、体育退試リング上で急逝した三沢光晴さん(享年46)の最後の対戦相手となる過酷な運命も背負った。齋藤彰俊中京知県当時は、ヒストリー2プロレスラーへのつながる11・1一部の心ない人々から激しい誹謗(ひぼう)中傷を受けたが逃げることなくリングに立ち続けファンから絶大な支持を獲得した。道に2330pts今年7月13日の日本武道館大会で潮崎豪に敗れ引退を決断した。高校館引スポーツ報知では、時代波乱万丈だった34年あまりのプロレス人生を「齋藤彰俊ヒストリー」と題し引退試合の17日まで連載。7愛第2回は「プロレスラーへの道につながる中京高校時代」。体育退試
(福留 崇広)
宮城・仙台市で生まれ育った小学校、齋藤彰俊中京知県中学校に平泳ぎで全国トップの成績を残した齋藤は、東北地方を中心に様々な高校からスカウトが舞い込んだという。しかし、入学したのは全国的にも競泳の名門だった愛知・中京高校(現・中京大中京)だった。
「おかげさまで中学を卒業する時に東北地方や東京の水泳が強い高校からお誘いはあったけど中京からは誘われなかったんです。なので、そこに行ってやれと思って受験しました。中学生ながらも自分なりの反骨心だったと思います。この精神も常に何かにチャレンジするプロレスから学びました」
高校の同級生には、野球部で後に阪急(現・オリックス)から1983年にドラフト1位で指名される野中徹博、広島に3位指名される紀藤真琴がいた。中でも野中との初対面は忘れられない。
「最初の出会いが廊下でぶつかって自分が『オイ!てめぇ』と言ったんです。殴り合いにはなりませんでしたが、お互いに引かなかったですね(苦笑)。自分も当時は今と同じぐらいの身長(177センチ)ありましたが、野中の方がデカくて横も分厚かったですよ。その後からは、べったりではなかったんですが、普通に話をするようになりました」
仙台から越境入学。住まいは、豊田市にある中京大の水泳部寮だった。中京高校水泳部は、タイムで大学のプールで練習する選手と高校で汗を流す部員と分かれたという。タイムの上位者は大学での練習に選抜され齋藤も抜てきされたのだ。
「練習は朝5時から大学のプールで2時間ほど泳いで、電車で名古屋市内の学校へ通学です。朝は4時起きでした。放課後も夜8時過ぎぐらいまで2時間以上、練習しました。泳ぎ込みの時は1日1万メートル以上は泳ぎます。朝は3000メートルから5000メートル。夜は1万ですね。休みは木曜日だけでした。きつかった練習はロケットスイムと呼ぶ練習です。これは例えば100メートル泳ぐなら、はじめの75メートルはダッシュで泳いでラスト25メートルは潜水なんです。この最後の潜水が苦しくてキツかったです」
部活以外でも「活動」した。
「高校3年の時に自分が頭でクラスを超えたチームを作りました。当時は、やんちゃなグループがいくつかあったんですが、そんな中でも優れたチームを作ろうという目的で『新撰組』と名付け、『誠』って入れたバッヂを作って学ランにつけていました」
同じチームには、後にプロレスラーとなる松永光弘がいた。松永は同級生で相撲部だった。「自分が頭で松永にも入ってもらいました」と明かし、その活動は「乱れた街の風紀を正すことです」といたずらっぽく笑いながら打ち明けてくれたが、聞いた内容は現代のコンプライアンスに照らし合わせると危険水域を軽く突破していると思われるので、公表は自粛する。ただ、こうした「課外活動」が原因で高校時代はインターハイ優勝など抜群の成績を収めていたにもかかわらず顧問の先生から「何回も部活やめろ」と言われたということを付記しておく。
チーム「新撰組」を結成した3年に新たな挑戦をする。それが空手だった。
「高校があった地下鉄の次の駅『川名駅』に極真空手の道場があったんです。そこに同級生が入門したんですが、ボコボコにやられたって聞いたので『俺が行ってやる』って入りました。最初の稽古で茶帯をローキックで倒しましたが黒帯は半端なかったです。部活が木曜日は休みだったので、顧問の先生には内緒で木曜日だけ通いました」
この空手を始めたことがプロレスラーへの出発点となった。中京大への進学後も空手を続け、そこで豊田市内に本部があった空手道場「誠心会館」の青柳政司館長と出会ったのだ。
「空手は大学時代、豊田市内の寸止め空手の道場に1年間ぐらい通っていました。ただフルコンタクトをやりたかったので時代塾という格闘技塾に入ったんです。そこは空手連盟に入っていなかったので大会に出るときは誠心会館の枠で出ていました。青柳館長をはじめ誠心会館の指導員も自分たちのところに来て技術交流みたいな形で練習して、自分たちも誠心会館で練習したときもありました。そこで青柳館長と出会ったんです」
この時の齋藤は予想もしなかっただろう。この大学時代で青柳館長と出会ったことがプロレスラーになるきっかけになるとは…。そして90年。ついに齋藤はプロレスデビューを果たす。(敬称略。続く)
続きを読む(责任编辑:エンターテインメント)
- ·玉木代表、連日の会見はピリピリムード プライベート質問NG要請も記者から質問相次ぎ「脇が甘かった」
- ·楽天・滝中瞭太―西武・武内夏暉…スタメン発表
- ·【巨人】戸田懐生が先発 バッテリーを組む亀田啓太が「4番・捕手」3軍対明大戦のスタメン
- ·【セパ公示】(18日)阪神が村上頌樹を抹消 オリックスが山下舜平大を登録
- ·獣人が腹ペコ少女のため人間用の料理に挑戦「ケモ耳少女の幸せごはん」1巻(試し読みあり)
- ·【日本ハム】石井一成が国内FA権取得「大事な時期。自分のことは後にして全力でチームの勝利に貢献したい」
- ·【札幌1R・2歳未勝利】札幌記念デーは武豊騎手Vで開幕 オーケースマイルが逃げ切り「いいキャンターをする馬」
- ·【阪神】虎党が泣いている…“投壊”で4カード連続負け越し 球団史上初のリーグ連覇遠のく
- ·LUIDA’S BARで「ドラゴンクエストIII」発売記念イベント、コラボメニューや特典登場
- ·アラン・ドロンさん死去 88歳、映画「太陽がいっぱい」「地下室のメロディー」など出演
- ·一族の陰謀と2人の男の間で揺れるヒロイン描く、和風ファンタジー婚姻譚「嫁食い」
- ·「元モー娘。」3児ママ、「サンジャポ」でパリ五輪「メダリスト」藤波朱理、鏡優翔、江村美咲、ウルフ・アロンに質問…「みなさん、恋愛する時間があるのかな?」
- ·相沢郁調教師がまな弟子・石川裕紀人騎手の手綱でJRA通算500勝「おめでたいです」
- ·阿部詩、団体戦のルールを理解してなかった!?残り1秒で慌てる「絶対決めないと!と思って」
- ·LUIDA’S BARで「ドラゴンクエストIII」発売記念イベント、コラボメニューや特典登場
- ·相沢郁調教師がまな弟子・石川裕紀人騎手の手綱でJRA通算500勝「おめでたいです」
- ·【札幌記念】武豊騎手と初コンビのシャフリヤールは5着
- ·【中京3R・2歳未勝利】サリオスの近親サラコスティが9馬身差で初V 坂井瑠星騎手「自分のリズムなら上でも」
- ·空手の試合中に危険行為で物議…選手の所属会が謝罪、セコンドは「無期限の謹慎」処分に
- ·「未来日記」ピッコマで全話無料公開、本日8月18日の1日限定